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桃原社長の話

私の父は頑固親父で人を誉めることがヘタな人間なのですが、一回だけ酔っ払ったときに「桃原がいなかったら家はやっていけなかった」と話していたのを聞いたことがあります。

父にこんな言葉を言わしめた蠅んじゅう桃原社長のお話をしたいと思います。

「初めて紅豚を食べたとき、あまりの美味しさにびっくりした!実際農家さんに会ったところ、今度はその情熱に感動した!その味と出会いが私の人生観を変えました。」の桃原社長が紅豚のことをお話するときに一番に出てくるのはこの言葉です。

桃原社長はがんじゅうを設立する以前は沖縄電力の関連会社でPHSの営業をしており、その時に仕事でたまたま出会った父との出会いが、桃原社長の人生を大きく変えることになったといいます。

当初、父とは「PHSのクレーム処理」から始まった関係だったのですが、自然と交流が深まり酒を飲み交わす仲になり、そこで父の「豚」への熱い思いに触れ、感動。

しかし、その父や農家の労が報われることのない食肉事業の閉鎖的な現状を知り、「自分にできることはないのだろうか」と真剣に考えるようになったと言います。

そこで、沖縄電力の社内ベンチャーMOVE2000(沖縄電力社員から新規事業のアイディアを募集し、その中から有望なアイディアを事業化する制度)に平成14年度応募してみたところ、周りの反応は厳しいもので、「何で豚なの?」「それって事業になるの?」という声が多く、まずはそこを説得していくことから始めなければならなかったそうです。

桃原社長はとにかく必死に農家の思いを背負いながら、「ただの豚ではない」、「この豚の味とこだわりは絶対に大丈夫です」と説得し続けたそうです。

当時、食肉偽装問題や、産地偽装などで食に対する不安もあと押した結果、社内での理解を得て多くの人の支えの下、社長の熱い思いが実り、平成15年3月25日、沖縄県の読谷村に「おきなわ紅豚」を販売する「株式会社がんじゅう」が誕生しました。

「がんじゅう」とは沖縄の方言で「頑丈」、「健康」という意味です。

安全で美味しい紅豚を食べて、がんじゅうに過ごしてほしいという願いから社名にしました。

ブランド名の「紅豚」という名前は、読谷村が紅芋の産地ということと、薩摩芋も鹿児島の黒豚も、もともとの発生の地は沖縄、それを取り戻そうじゃないか、という決意から「紅豚」としました。

また、生産から販売まで一貫した管理のもとで、ブランド豚として成立させるためにはお客様に責任をもって品質の保障をすることが大切だと考えた桃原社長は、豚肉では国内でまだ行われたことのなかった「トレーサビリティシステム」を導入し、農場から食卓までのルートを明確にすることで、お客様からの声を、農家まで直接フィードバックすることができ、農家も会社も良い緊張感を持ちながら、責任を持って商品を提供していける体制を作りました。

今では当たり前となりましたが、当時は豚肉のブランド化というのはまだ、浸透していなかったため、桃原社長が営業に行くと門前払いになることも度々あり、「良い商品」がありながら、話も聞いてもらえない状態が数ヶ月も続いたそうです。

「もう辞めようかな・・・」と、心が折れそうな日々が続く中、そんな状況を見かねた知り合いの紹介で、たまたま伺った「まい泉」で桃原社長の人生を変える第二の出会いがありました。

ある日、紹介して頂いた、「まい泉」の部長さんとお会いするお約束がとれた桃原社長が会社をお伺いしたところ、なんと、創業者であり、当時会長を務めて いた小出前会長自らが対応してくださったそうです。

小出前会長がお会いしてくださったことにびっくりした桃原社長は、その経緯を聞いてみて更にびっくせざるを得なかったそうです。

その日の朝日新聞の朝刊に「沖縄電力豚も売ります」という記事が出ており、それを偶然見た小出会長が、「面白そうな記事がのっている」と、部長にお話。

「偶然ですね〜。この会社なら今日会う予定ですよ」と部長が返答したところ、「この会社なら私が会いましょう」と言ってくださり、お会いすることが出来たそうです。

桃原社長はこれがラストチャンスだと思い、農家の思いや、これまでの経緯、思いの丈を涙ながらに二時間必死で話したといいます。

そして、話終えた桃原社長に小出会長が一言、「では、そのお肉をウチで扱うにはどうしたらいいですか」と声をかけてくださり、「まい泉」で実際に取り扱ってもらうことになりました。

当時、桃原社長が家に「まい泉のカツサンド」を片手に嬉しそうに報告しにいらしていたのを記憶しています。

この出会いがターニングポイントになり、あのとんかつの老舗「まい泉」でも取り扱っている「紅豚」ということで、「三越」や各種デパート、飲食店でもお取扱いしていただけるようになりました。

また、桃原社長が「紅豚」の食べ方を日々、試行錯誤する上で、利用させていただいた飲食店があったのですが、毎日通って、ああでもない、こうでもないと考え込んでいる桃原社長に対して、このお店の上原オーナーが声をかけたそうです。

「桃原、お前、この豚にどれだけ本気か?」「僕はこの豚に一生をかけていく決心をしています」 「そうか、わかった。このお店を紅豚専門店にするよ」こういうやりとりがあり、「いつ世」という紅豚専門店が生まれました。

今では、野球選手や芸能関係など様々な人が訪れ、予約無しでは入れない名店となりました。

そして、桃原社長が紅豚の味を活かせる料理ってなんだろうと、毎日試行錯誤して考え出された「紅豚にぎり寿司」はめざましテレビなどでも取り上げられ、いつ世さんで一番の人気商品となりました。

桃原社長の熱い人柄や、紅豚に対する思いが素晴らしい出会いを引き寄せたのだろうなと思います。

そんな桃原社長の夢は農家の皆に「桃原、お前とやってきてよかった」言ってもらうことだそうです。

「農家には思いっきり良い物を作ってもらい、お客様には良い形で販売していく。農場から食卓まで責任をもって安心、安全、美味しい豚肉を提供したい。

お客さん、農家、会社が三位一体でハッピーになる理想の形を作るため努力していくことが自分の使命だと感じている。

念ずれば花開く。

必ず理想の形を実現します」こんな風にお話する桃原社長に生産農家の娘の私はただひたすら胸が熱くなり、込み上げてくるものがあります。

なにより、父の努力の結晶の豚肉をあのまんま、その他大勢の豚肉の中に埋もれさせないで、世に出してくれた。

その為に自分の全てを賭けてくれた。

感謝してもしきれません。こんな人に出会えた父はとっても幸せなんじゃないかと思います。

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