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私のお話

小さい頃から「お父さん」のイメージは頭にさーじ(タオル)を巻き、雨靴を履いて農場にいる。

という感じで、ゆっくり遊んでもらったり、一緒に旅行に行ったりという経験は全くありません。

「お父さん」=農場にいるという感じで、小さい頃は寂しい思いをしたこともあります。

物心ついてからは、農場に遊びに行き、少しずつお手伝いができるようになり、父の存在が近くなりました。

朝から晩まで「豚」のことを考え、世話をし、常に勉強、研究、実践をきちんと行っている父は、周りからも頼られ、とても頼もしく、父の仕事(養豚)がかっこいいと思えてきたのは小学校高学年からだったと思います。

思い返してみると、その頃から自分の家で食べる「豚肉」が一番美味しい!という自信が既にありました。

実際、給食の豚肉と家で食べる豚肉が全然違う味なので、食べられなかったこともあります。(私にとって、豚肉=美味しいお肉だったので、この時は「給食のお肉は変な味付けだなぁ」と思っていたことを記憶しています。)

その時の自信の根拠はなんだったのだろう、と思い返してみたところ、「そりゃあ自信も持つよなぁ」といういろんなことを思い出しました。。

毎日夜は家に現在の紅豚生産農家(紅豚は3つの生産農家さんで飼育しています)の島袋さん、安次富さんらと集まって勉強会。朝まで続く討論の中心にはいつも父がいました。

そんな父は暇さえあれば、専門書を片手に勉強、研究。

そして、研究したことを家族で実践していくというのが私たちの日常でした。

例えば、

・パン粉を飼料に混ぜると脂の質があがるぞ!
→パンを一週間に6トン回収し、一つ一つ袋からだし、パン粉に挽いて、乾燥機で加熱した独自配合飼料をつくる。

・肉質の向上とエコフィードを考え、ミルクをいれるぞ!
→毎日ドラム缶30缶ぐらいの量を加熱し、1頭1頭に与えてみる。

・もろみ酢粕に含まれるアミノ酸が品質の高い肉質を構成する!
→もろみ粕を毎日(月換算で2トン)取りに行って独自配合の飼料を作る。


などなど、思い返しても恐ろしいぐらい、家族みんなで必死に頑張りました。

書くと淡々としていますが、全ては一から手作業で、単位はトン(t)です。

家族みんな夏は軽く5圓倭蕕擦燭發里任后(家族が協力したこの取り組みのきちんとしたデータや根拠をまとめ、結果を飼料会社に提出し、飼料の内容や成分の相乗効果を研究、変更しながら今の「紅豚」の独自配合飼料ができました。)

また、父のお肉の評判を聞いて本土からお客さまが食べにいらっしゃることも多く、子供心にも「お父さんが育てる豚は一番美味しいんだ!!」と強く思ったものです。(そして、その父の味が認められ、平成15年「おきなわ紅豚」が誕生することになりました。)

そんな思いを根底に持ちつつ、高校、大学を卒業後は念願の「就農」。

それからの3年間は毎日必死でした。「こんなことまでするの?」、「そこまで豚に気を使うの?生き物を育てるってなんて大変なことなんだろう」「この子豚達は私より大切に育てられているんじゃないの?」、と、とにかく父の「豚」へのひたむきな情熱と、研究心は普通じゃない!!と、毎日現場でひしひしと感じていました。

この父の努力と情熱はどこへ向かって発信されているんだろう・・・・この先には何があるんだろう・・そう考える内に、私もふつふつと「思い」が湧いてきたのです。

「父がこんなに大切に育てた豚はどんな風に誰のもとへ届いているのだろう」「この紅豚をもっと多くの人に知ってもらいたい、食べてもらい、美味しさを、父や農家の努力を伝えるにはどうしたらいいのだろう」と。

その後、当社の桃原社長から、私の経験と思いを販売に活かしてみないか?というありがたいお言葉を頂き、今このように皆様に語りかけることのできる場を与えてもらいました。

父と島袋さん、安次富さんが「育て」、娘の私が「販売」する。農業も販売も経験不足で未熟者の私が言うのもなんなのですが、「物」を売るにあたって、作り手の思いを理解して販売することが出来るというのはすごく幸せなことなのじゃないかな、と感じております。

この気持ちを持ちながら、全国の皆様に「紅豚」をお届けしていきたいと思います。

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